リスニングの常識はスピーキングの非常識
- 蒼太 丸山
- 4月9日
- 読了時間: 5分
今回は、主にリスニングとスピーキングに関する話なのですが、このタイトルからどんな話になるのか、すぐにイメージできない方のほうが多いと思います。「リスニングの常識はスピーキングの非常識」と言われても、何が何だかわからないと思いますので、以降で詳細に説明していきます。
聞き取れないのはだれのせい?
多くの英語学習者が、英語の聞き取り能力を伸ばそうと日々頑張っています。リスニング音源を聞く、動画を見るなど、そのような取り組みをふだんから行っている人もたくさんいるはずです。
ところで、頑張っても英語が聞き取れなかった場合、どのように感じますか。ほとんどの人は、「あ~、聞き取れなかった、がっかり」のような、残念がる気持ちになると思います。
ただ、ちょっと考えてみてください。がっかりして残念がるということは、自分の聞き取り能力もまだまだだな、と、聞き取れなかった原因を自分に帰結させる形になっていますが、それはほんとうに自然でしょうか。
何が言いたいかと言うと、「聞き取れなかった原因が相手にある」という場合もある、ということで、聞き取れなかった原因がその言葉を話した本人にある、というケースもあるということです。
事実、モゴモゴと不明瞭に話す人、支離滅裂でわけのわからない発言を繰り返す、「変な人」は日本語話者の中でも一定数いますよね。その場合、「もっとはきはき話せ」とか、「結論から先に言え」とか、そのような言葉を話し相手に、(ちょっときつめの言葉で)かけると思います。わけのわからない日本語を話す人の話が理解できないときに、「あ~、僕の日本語リスニング力はダメだぁ」とはけっして考えないはずです。
相手のメッセージを聞き取れなかったというある種の「事故」には過失割合のようなものがあります。リスニングをする側が、聞き取れなかった原因のすべてを自分に押し付けるのはすこしやりすぎと言うか、自分を責めすぎのように僕は感じます。
リスニングの態度とスピーキングの態度
ここでやっと、タイトルの「リスニングの常識はスピーキングの非常識」の話が来ます。
メッセージの伝達に失敗する原因のすべてが「聞き手」に傾くわけではない、天秤のように、話し手と聞き手のどちらかに、ケースバイケースで傾くものである、という話はすでに確認しました。
英語で意味を伝達できなかったという事故の原因は、立場に応じて説明のしかたが変わります。聞き手の立場から見た場合は「聞き取れない原因」、話し手の立場から見た場合は「伝わらない原因」になるのですが、この意味伝達の失敗に対する対処法は、立場に応じて変わります。
聞き手、つまりリスニングをする人の努力としては、「相手の立場や心情、バックグラウンドなどを慮って、なるべく少ない手掛かりからでも相手の意図を察することができるように配慮する」というのが求められます。これは、「察してあげる」という配慮であり、「つまり、君の言いたいことは○○ってことですね」のように、リフレーズしてまとめてあげるなどのサポートも推奨されます。
対して、話し手に求められる態度は、「相手が負担なくメッセージを理解できるようにするために、理解が容易になるであろう順番で、発音などにも気を使いながらていねいに話す」というものになります。意味理解の助けになるヒントをなるべくたくさん与えて、相手が気を使うことなく理解できるように配慮する、ということです。
ここで、ちょっと違和感を感じると思います。聞き手の努力は、「なるべく少ない手がかりで理解できるように努める」ことである一方、話し手の努力は、「なるべく多くの手がかりを相手に与えるように努める」ことだからです。両者の努力の方向が正反対であり、足並みげぜんぜんそろっていないことに違和感を覚える人も多いと思います。
ただ、これは特に不思議なことではなく、というのも、「自分の問題は自分でしか解決できない」という、あたりまえの前提がそこにはあるからです。
聞き手が抱える問題を解決できるのは、聞き手だけです。聞き手が話し手に対して、「ねえねえ、ちゃんと話してよ」とナッジすることはできますが、じっさいに伝えたとおりに変化してくれるかは、話し手しだいです。聞き手が話し手の問題を直接解決することは、できません。
リスニングで聞き取れない原因のウエイトが話し手側にあることがある、と言いましたが、それを把握したところで、相手が何か変わってくれるわけではありません。聞き手ができることは、「お願いだからていねいに話してくれ~」と祈ることだけであり、それ以上の干渉はできません。
このように考えると、「すくない手がかりで話し手の意図を把握できるように自分の推理力を鍛える」というアプローチは、至極まっとうなものに思えませんか。自分がコントロールできる部分にだけ着目し、相手がどう出てくるかというコントロールできない要素は、相手任せにする、という合理的アプローチです。
もちろん、立場を話し手に変えた場合でも論理の流れは同じです。相手の聞き取り能力を話し手が直接変化させることはできませんから、「ていねいに話すように努める」という、自分がコントロールできる部分だけ整えるようにするのは合理的です。
世の中、ペラペラとスピーディーに話すことがよいこと、みたいな風潮がありますが、それもいまいちなはずです。スピーキングの速度とは結果的に達成されるもの、具体的には、言いたいことが脳内に思いつく速度が口が動く速度よりも圧倒的に上回っているときに生じる「たんなる結果」であり、それをよいとするのはちょっと変です。むしろ、今回の話の流れからもわかるように、ペラペラ英語は、「ていねいに話をするように努める」という点からあまり褒められた話ではありません。
さいごに
これが、「リスニングの常識はスピーキングの非常識」の正体です。なるべく少ない情報で意味を復元するように努めるのがリスニングの態度である一方、なるべく多くの情報を与えるのがスピーキングの態度である、ということです。


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